一人の女性が生涯で最も多く出産した記録は69人
2010/10/08(金)
記録によると、19世紀のロシアの女性が27回の妊娠で四つ子を4回、三つ子を7回、双子を16回を含む69人を産んでいる。その夫、ワシリイさんはその奥さんが亡くなるとすぐに再婚、さらに18人産ませた。これが男性が産ませた世界記録となっている。SARSの発端となった一例が宿泊していたホテルの番号は911だった
2010/10/08(金)
2003年2月21日、中国南部から香港に到着した医師がメトロポール・ホテルに投宿した。この医師は体調を崩しており、その翌日にホテル近くの病院に駆け込む。それまでに16名の宿泊客らがSARSに感染していた。医師が滞在した911号室を含む奇数の部屋番号を持つ部屋に滞在していた客は香港の他、カナダ、シンガポールへと戻っていった。911号室はSARSの世界的な流行の「グラウンド・ゼロ」といえる。
人工心肺の原型の開発には、大西洋無着陸飛行を初めて成功させたあのリンドバーグが参加していた
2010/10/08(金)
1927年Spirit of St.Louis号でニューヨーク・パリ間の大西洋無着陸飛行を初めて成功させたチャールズA.リンドバーグは心弁膜障害を持つ姉エリザベスのために、賞金25,000ドルを抱えてアレクシス・カレル博士の研究室に参加した。カレル博士は血管縫合および臓器の移植に関する研究で1912年にノーベル生理学・医学賞を受賞していた。
切り出した臓器を体外で生き続けさせるための生理学的条件についてはカレル博士のアイディアが生かされ、血液を連続的に臓器に還流させるポンプ装置の発明にはリンドバーグの知識が生かされた結果、1935年に人工心肺の試作に世界で初めて成功した。
カーディガンはクリミア戦争のころ傷病兵のための着衣として普及した
2010/10/08(金)
カーディガン・セーターは、もともとはカーディガン伯爵が着脱しやすく温度差に微妙に対応できる衣服として自身が考案して着用していた。 このセーターが前あきで、処置などが受けやすいなどの理由で、クリミア戦争に参加した傷病兵の間で多くの支持を集め、カーディガンの名が今も受け継がれている。耳垢のドライ・ウェットを決定する遺伝子が第16染色体短腕に存在することがわかったのは21世紀になってからである
2010/10/08(金)
耳垢のドライ/ウェットは、メンデル遺伝するヒトの形質としてはもっとも古くから知られていたものの一つであるが、その形質を決定する遺伝子が第16染色体短腕に存在する事が判ったのは21世紀になってからである。遺伝子マッピングは1980年代から盛んになり、比較的同定の容易なメンデル遺伝する疾患の遺伝子座は軒並み20世紀に同定されてきた。それにも関わらず、耳垢遺伝子が同定されたのがヒトゲノム計画も終わった2002年である。その結果は「Lancet」に掲載されている